「人々があなたがたに、『霊媒や、さえずり、ささやく口寄せに尋ねよ。」と言うとき、民は自分の神に尋ねなければならない。生きている者のために、死人に伺いを立てなければならないのか。』」(イザヤ8:19)
ノストラダムス(1503~1566)は、オカルト的予言者でした。本名は、ミシェル・ド・ノートルダム。ユダヤ人一家(後にカソリックに改宗)の息子としてフランスのサン・レミで生まれ、後にモントピ-リア大学で医学の学位を取得したと言われていま。しかし真相は、1529年に同大学に応募したものの、「山師のようで誠実さに欠ける」との理由で、学生課のギリアム・ロンドレに却下されています(ピ-タ-・ラメラジャ-著『知られざるノストラダムス』より)。彼の再入学に関する記録は一切ありません。
大学入学を拒否されたノストラダムスは、その後ヨーロッパに渡り、医学の知識を求めて、薬剤師として各地を転々とします。1546年、エクサン・プロヴァンスでは、ペストの流行を受け、地元の医師たちは逃げ出しました。モントピーリア大学の卒業生でもある高名なオージェ・フェリア医師は、当時ツールーズにいましたが、同僚医師に「早く逃げ出して、元気でいろ。しばらくは戻ってくるな」と忠告しています。
前出のラメラジャーは、「ペストに対応できる優秀な医者はマルセイユにしかおらず、彼らはツールーズに来れなかった、あるいは来ようとしなかった。市民に残された道は、二流の医師を呼ぶことだけだった」と説明しています。
1546年6月、エクサン・プロヴァンスはペスト撲滅活動の一環としてミシェル・ド・ノートルダムを採用します。ノートルダムは「ばら薬」と呼ばれる薬を調合して配りますが、彼の妻と息子もペストに倒れました。後にノートルダム自ら、これが単なる予防薬でしかなかったことを認めています。
預言者ソロモンは「昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。」(伝道の書1:9)と言っています。有史のほとんどがそうだったように、15世紀および16世紀初頭には、気候的、経済的、政治的、宗教的事件が目白押しでした。1520年代にヨーロッパの「小氷河期時代」が全盛を迎えると、作物は全滅し、ヨーロッパ各地で疫病が発生。また指導者たちは戦争をくり返し、ソレイモン王と彼に見事にトレーニングされたトルコ軍は、オスマントルコからウィーン近くまでの東南ヨーロッパを席巻したのでした。
将来に悲観的な雰囲気が漂う中、大衆は予言に対して異常な興味を示すようになります。その中でも一番人気は、1522年に出版された『ミラビリス・リベール(ラテン語で「驚異的自由」の意)』でした。この本は、聖書預言をまとめた要素が濃く(例-黙示録の2人の預言者が反キリストと対峙する預言、エゼキエル書38-39章のゴグとマゴグの預言、ヨエル2章の完璧に訓練された北東の軍隊等)、またノストラダムスに大きな影響を与えたことは間違いありません。この本の一部を引用してみましょう。
「この静けさの最中、全世界を滅ぼす国、ゴグとマゴグが突然北から現われた。恐れおののいたすべての人々は、山や岩に身を隠した。彼らはヤベテの族ではない。北の災害は、人々の体を、蛇を、女子供を貪り食う」
一方、ハルマゲドンあるいはハルマゲドン前の終末世界の様子を描いたエゼキエル書の38:2-9は、次のように書かれています(ハルマゲドンの3年半前あるいは7年前の出来事であるとの予想をしている専門家もいます)。
「人の子よ。メシェクとトバルの大首長であるマゴグの地のゴグに顔を向け、彼に預言して、言え。神である主はこう仰せられる。メシェクとトバルの大首長であるゴグよ。今、わたしは、あなたに立ち向かう。わたしはあなたを引き回し、あなたのあごに鉤をかけ、あなたと、あなたの全軍勢を出陣させる。それはみな武装した馬や騎兵、大盾と盾を持ち、みな剣を取る大集団だ。ペルシヤとクシュとプテも彼らとともにおり、みな盾とかぶとを着けている。ゴメルと、そのすべての軍隊、北の果てのベテ・トガルマと、そのすべての軍隊、それに多くの国々の民があなたとともにいる。備えをせよ。あなたも、あなたのところに集められた全集団も備えをせよ。あなたは彼らを監督せよ。多くの日が過ぎて、あなたは命令を受け、終わりの年に、一つの国に侵入する。その国は剣の災害から立ち直り、その民は多くの国々の民の中から集められ、久しく廃墟であったイスラエルの山々に住んでいる。その民は国々の民の中から連れ出され、彼らはみな安心して住んでいる。あなたは、あらしのように攻め上り、あなたと、あなたの全部隊、それに、あなたにつく多くの国々の民は、地をおおう雲のようになる。 」
エゼキエルは、イスラエルが侵攻され、イスラエル人が国を追われて散り散りになり、「最後の日」に再び集められると預言しています。「わたしはあなたを引き回し、あなたを押しやり、北の果てから上らせ、イスラエルの山々に連れて来る。」(エゼキエル39:2)エゼキエルの預言に出てくる国の多くは、今日の私たちにも馴染みの国です。神は、大地震や疫病、集中豪雨、火、硫黄、また国内情勢の混乱などを通し、歴史に介入します。
「あなたの左手から弓をたたき落とし、右手から矢を落とす。あなたと、あなたのすべての部隊、あなたの率いる国々の民は、イスラエルの山々に倒れ、わたしはあなたをあらゆる種類の猛禽や野獣のえじきとする。あなたは野に倒れる。わたしがこれを語るからだ。・・神である主の御告げ。・・わたしはマゴグと、島々に安住している者たちとに火を放つ。彼らは、わたしが主であることを知ろう。」(エゼキエル39:3-6)
「彼らは、常時、国を巡り歩く者たちを選び出す。彼らは地の面に取り残されているもの、旅人たちを埋めて国をきよめる。彼らは七か月の終わりまで捜す。巡り歩く者たちは国中を巡り歩き、人間の骨を見ると、そのそばに標識を立て、埋める者たちがそれをハモン・ゴグの谷に埋めるようにする。」(エゼキエル39:14-15)
国を清める旅人たちとは、放射能の除洗作業員かもしれません。そして、彼らはハモン・ゴグの丘に死人を埋めるのです。
ユダヤ教の知識と経験を持つノストラダムスは、旧約聖書の預言に精通していました。未来の出来事を知るためには、いくらでもお金を払おうという人がいる中で、当時のヨーロッパでは聖書を元にした予言暦が、毎年30冊程度出版されていました。ノストラダムスもこの流れに乗ったのです。
予言に対するノストラダムスのアプローチ
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ノストラダムスの初予言暦出版から40年後、彼の信奉者であったシャビニーは、予言暦の中で具体的に成就した予言をひとつも見つけることができませんでした。この事実に対し、シャビニーは「ノストラダムスは、他の年のことを予言した」と言い訳しています。ノストラダムスは、1553年に2冊の予言暦を出版していますが、この2冊の内容は大きく違っていました(違う雑誌に載っている占星術の内容が違うようなものです)。また、数年後に自分の予言を再使用するのも、ノストラダムスの常套手段でした。
旧約聖書時代に登場した神の預言者の場合、預言に間違いがあれば、石打の刑が待っていましたが、その内容は100%正確でした。新約聖書時代には、神の聖霊により息吹を与えられた人を通し、「聖霊の賜物」として預言が語られています 「神-時空を超えた存在」 は、人間の歴史とは関係ない位置に存在しているのです。
神に指名された真の預言者だけが、未来を知る超自然的力を神から直接与えられました。だから、その預言に間違いはありません。こうした絶対的基準を前に、ノストラダムスの予言は単なる憶測にしか過ぎません(申命記18:22)。
ノストラダムスは、惑星の図表を参考にした占星術に基づいて予言をしていることを認めています。図表は、天体が人間の生活に影響を与えるという信念の元に作成されており、それまでの占星術の分析に基づいた、非現実的な予想がされています。こうした図表に基づいたノストラダムスの予言は、直感的予測に基づく個人的な見解に過ぎず、またオカルト的占星術に基づいています。つまり、ノストラダムスが行っていたことは、憶測であり、いかさま、オカルトです。
占星術の憶測は、「歴史はくり返されるもので、数百年後に惑星が同じ配列になる時に、似たような事件が起きるに違いない」という不合理な前提に基づいています。ノストラダムスは、将来、惑星の図表が同じ配列になる時に、ハンニバルによるスペイン侵攻と地中海岸ヨーロッパ地域の状況と同じようなことが、再び起きると主張しています。
ノストラダムスが「予言」と評していたのは、過去に事件が発生した時の惑星の位置を調べ、惑星図表本を使い(14世紀出版のジャン・ド・マース著『Alphonsine Tables』や19世紀出版の『De Magnis Coniunctibus』などからの引用が多数見られる)、将来的に似たような事件が起きそうなパターンを調べることに過ぎません。しかし、ノストラダムスがここまでの労力を費やすことも、あまりありませんでした。こうした特定時期を割り出すには、配列の予測が難しい内惑星の位置が重要であったため、ノストラダムスは単に惑星の位置を表示し、読者自身に将来の事件の再発時期を調べさせることが多かったようです。
こうした作業に、特別な占いの手法が必要なはずはありません。『天文学書』には、素人占い師にも簡単に予測ができる付録すらついていたのです。ノストラダムスの肖像画の多くは、新月の光が水晶玉から放たれる霧の中に映える図柄の円錐型の帽子をかぶり、占星術師然とした様子を見せていますが、当時の占星術師は、彼の占星術師としての力量のなさを激しく責めています。
真実を言えば、ノストラダムスは占星術師ですらありませんでした。前出のピーター・ラメジャラーは、裕福な個人を相手にした彼の占いのほとんどに重要な間違いが必ずあり、「またそのおよそ半分は間違いだらけ」と主張しています。
ノストラダムスは、彼の占いに来る前に専門家に頼んで惑星表を描いてもらうよう、顧客に指示していました。これでは、どうしてノストラダムスに会う意味があるでしょう?中には、セカンド・オピニオン(別の医師の所見)を求めるつもりの人もいたのかも知れません。しかしここでの問題は、セカンド・オピニオンを求める相手よりも、最初に会った占星術師の方が、ずっと能力があるということです。
こうした問題を抱えつつも、ノストラダムスは「歴史的事件が再発するものなら、できるだけ多くの予言をして、過去に起きた事件をリサイクル利用すれば良い」という未来予測への成功の方程式を編み出すことに成功しました。彗星、飢餓、疫病、イナゴの大量発生、教会の迫害、大火、裁判所の腐敗、戦争、国家への反逆、海戦、異常犯罪者の登場、地震、難民など、ノストラダムスは一年に300以上の予言をしたこともあります。まさに予言の大量生産です。1557年には3冊、翌58年には2冊の予言暦を出版しています。
すぐに予想がつきそうな事件も、ノストラダムスは予言の対象にしていました。1554年2月、ノストラダムスは、ローマ教皇2人が死ぬと予言していますが、これは翌年まで実現しませんでした。しかしローマ教皇が高齢であったり、病気がちで健康が優れないのであれば、遅かれ早かれ、彼らに死が訪れることは明白です。これは、今日「今年、中東でテロが発生する」という予言をするのと同じで、こんなことに、預言者の力は必要ありません。中東は混乱の歴史を持つ地域ですし、冷静に考えれば、有史のすべてが混乱と戦いに埋め尽くされています。
1555年、ノストラダムスは自らの予言は神に与えられたものであり、その権威には非の打ち所がないと言い始めます。「神はすべての星に勝る」と言う表現と共に、自分の予言が実現しなかったとしても、それは神の「気が変わった」に過ぎないと主張しました。予言が成就するかしないかの責任は自分ではなく神にあるという訳です。ノストラダムスは神と話す直通ダイアルを持っていたと言いたいのでしょうが、こんなことは誰も信じません。こうした主張は、偽予言者や「カリスマ」伝道師の特徴でもあります。
聖書は「あなたのうちに自分の息子、娘に火の中を通らせる者があってはならない。占いをする者、卜者、まじない師、呪術者、呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、死人に伺いを立てる者があってはならない。これらのことを行なう者はみな、主が忌みきらわれるからである。これらの忌みきらうべきことのために、あなたの神、主は、あなたの前から、彼らを追い払われる。」(申命記18:10-12)と警告しています。ノストラダムスのように予言を大量生産するような人物は、この警告の対象者です。
1555年夏に出版された『Chronique Lyonnaise』は、ノストラダムスの「手相、数学、占星術」の能力のなさについて触れています。またローラン・ビデーラは1558年に出版した文章の中で、ノストラダムスが宮廷に行く途中のリヨンで、ある女性に役に立たない薬を与え、現代の貨幣価値で900ドルを請求したと言って非難しています。女性がノストラダムスに「私のお金を返して下さい。あなたの薬は効きませんでした」と言うと、ノストラダムスは「厚顔無恥のいかさま師」のように「心配するな」と言って返金を拒否しました。
ノストラダムスが予言を続けた結果、フランスのヘンリー2世の女王であるカトリーヌ・ド・メディシスが、ノストラダムスに意見を求めるようになり(ロシアのアレクサンドラ女王が奇術師のラプチーンの手に落ち、後に帝政ロシアが崩壊したのと同様な動きと言えます)、また1560年にはチャールズ9世の宮廷医師に任命されました。さらに、ジュリアス・シーザー・スカリゲルの知識人界のメンバーにも入りましたが、「馬鹿げた、卑劣なならず者」で「虚偽」を広める「前科者の物乞い」との非難を受け、後に追放されています。
民話によれば、夫のヘンリー2世亡き後、息子が引き継いだバロア家の将来を知りたかったカトリーヌ・ド・メディシスは、ショーモンにある美しい城で降霊会を開くよう、ノストラダムスに依頼します。ノストラダムスは魔法の鏡を使い、天使(キリスト教的に言えば、天使の振りをした悪魔)のアナエル(聖書には存在しない金星の天使)を呼び出します。
魔法の鏡の中に、フランシス2世として王位を継承したばかりの息子が歩いている様子が一度映ります。すると今度は、王位を継承したチャールズが登場し、彼が部屋を歩き回る様子が14回も映し出されました。最後に、フランスのヘンリー3世が登場し、鏡の中の部屋を歩き回る様子が15回映りました。彼らが鏡の中に映った回数は、彼らの在位年数を表しています。フランシス2世は早死にし、弟たちは14年、15年間の在位を守ったのでした。
ノストラダムスが不可解かつ複雑な予言をしてきたことを考えれば、この魔法の鏡の予言や降霊会があったことは事実とは考え難いでしょう。ノストラダムスは、死人を装って登場する 使いの霊魂 である悪魔を呼び出したことは否定しています。
彼は、自分を非難する人々についてこのように述べています。「彼らは、何かにつけて私を責め、私の悪口を言い、『そんな言い分は使いの霊魂から来たに違いない』と言う。こうした態度は、彼らの心が羨望と無知にかき乱され、合理的意識や正確な判断から程遠く、彼らが真実を知り得ないことの証明である。」
ルネッサンス時代の最も有名な占星術的論説は、1555年初版のノストラダムスの『諸世紀』でしょう。各「世紀」は予言を含む4行連句の詩、百篇からなっています。1559年、『諸世紀』にある予言どおりにヘンリー2世が亡くなったことをきっかけに、ノストラダムスの名前は後世にまで語り継がれるようになりました。
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これも、ノストラダムスによる漠然とした予言のひとつであり、あらゆる事件に対応させることができます。『完全版ノストラダムスの予言』の中で、ヘンリー・C・ロバーツは、この詩がアドルフ・ヒットラーの運命を予言していると言っています。ロバーツは鉄の檻をヒットラーが死んだベルリンの燃料貯蔵庫だったと主張してますが、コンクリート製の燃料貯蔵庫は、「鉄の檻」というよりは、鉄筋製のコンクリートの檻と言った方が正確でしょう。また、ノストラダムスの予言解釈専門家は、ローマ時代、ドナウ川下流が「イスター」あるいは「ヒスター」と呼ばれ、地図上にもその名前があることを理解しています。
最後の行を「Quand Rin enfant Germain observera,」(「ドイツ人の子供がライン川を見る時」)と解釈する人が多いようですが、フランス語の「rien」は「無」という意味であり、ライン川ではありません。また「enfant」は12世紀から16世紀には「兄弟」あるいは「近親」という意味で使われていました。(前出『ノストラダムスの仮面』より)
ヒットラーとゲッベルズは、この予言に乗じようとしました。ヒットラーは、ドナウ川下流が、ラテン語で「ヒスラー」であることを理解していましたが、同時にこの4行連詩には二通りの意味があり、これを自分に当てはめることができると考えたのです。「偉大な者が鉄の檻に引き込まれる」など、決して好ましい内容ではないこの詩をヒットラーが利用しようとした理由は謎です。
ノストラダムスが「ヒスター」という言葉をどういう意味で使ったのかという問題に関するすべての憶測は、意味のない議論に過ぎません。1554年11月、「ルネッサンス時代の最高の預言者は自分である」と言ったノストラダムスの予言fr、「博学な男が、ドナウ川とも呼ばれるヒスター川を歩くと、地は静まり、川は消える」(前出『誰も知らないノストラダムス』より)と明言しています。この詩で分かるとおり、ノストラダムスは、ヒットラーではなくドナウという意味で「ヒスター」を使っています。
第三次大戦の予言
下記の詩を、米国同時多発テロに端を発する第三次大戦の予言であると解釈している人もたくさんいます。
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Cinq
et quarante degres ciel bruslera
Feu approcher de la grand cite neufve
Instand grand flame esparse sautera VI.97
「45度の空が焼かれる
火が偉大なる新都市に近づき
すぐに巨大な火が燃え上がる」
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2001年9月、世界貿易センタービルに2機の飛行機が突っ込み、罪のない何千人もの人が命を落としました。当時、「ノストラダムスは、この事件を予言していた」という人が多くいましたが、ニューヨークの緯度は40.6度あるいは40.7度であり、この詩には当てはまりません。また、すぐに巨大な火が燃え上がって空を焼いたわけでもありませんでした。
この詩の内容により近いのは、フランス西南部にあるビルヌーブ・シュル・ロットです。この町は北緯45度に位置し、フランス語で「新しい都市」を意味しています。中には「cinq et quarante」は40.5度を意味したのだという人もいますが、ノストラダムスの時代には小数点の概念はなかったため、この議論は当てはまりません。
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L’an
mil neuf cens nonante neuf sept mois,
Du ciel viendra un grand Roi deffraieur
Rescusciter le grand Roi de’Angolmois
Avant que Mars regner par bonhneur X.72
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『ノストラダムス、1555年とその後』(エリカ・チータム著)では、以下のようにこの詩を翻訳しています。
「1999年の7の月。空から恐怖の大王が舞い降りてモンゴルの大王を甦らせる。その前後マルスが幸福に世界を支配するだろう。」
また『ノストラダムスの秘密-達人の予言に関する新解釈』(デイビッド・オバーソン著)の翻訳は以下の通りです。
「1999年7月。アンゴルモアの大王を甦らせるために、奇怪な王が空から来る。その後、幸運を持ってマルスの支配となる」
「ノストラダムスは16世紀の神智学協会から手ほどきを受け、彼らのために働いていた」という理解から、オバーソンはこの詩を「グリーン・ランゲージ」(オカルト界で使われる言葉)的見地から分析しています。オバーソンによれば、アンゴルモアは神智学協会の「グリーン・ランゲージ」から直接来た言葉であり、「だから、ノストラダムスが『Roy d’Angoulmois』という偽文の中で、大天使ミカエルを装っていることは明白である」と結論付けています。また、「Du ciel viendra un grand Roy d’effrayeur」(奇怪な王が空から来る)という文に関しては、「effrayeur」が「人騒がせなもの」「驚かすもの」を意味する一方で、「defrayer」は「楽しむ」「面白がる」などの意味があるとも指摘しています。
「1999」という数字に関しても、オカルト的見地から分析すると、「1999年ではなく、紀元2087年に非常に近い」というのが、オバーソンの意見です。
ノストラダムスのご多分に漏れず、この詩の他の部分も世界滅亡とは関係がないようです。この詩に対して様々な解釈が存在すること自体、ノストラダムス予言の問題点を露呈していると言えるでしょう。この4行詩は非常に漠然とした内容であり、人によって様々な解釈が可能です。予言を読む人の数だけ解釈があると言っても過言ではありません。そして、予言の真偽にかかわらず、人々は自分が見たいものだけを、その詩の中に見出すのです。
第45編-ジハードの勃発
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Le
prince Arabe Mars, Sol, Venus, Lyon,
Regne d’Eglife par mer fuccombera;
Devers la Perfe bi en pres d’un million,
Bifance, Egptee, ver. ferp. inuadera
「アラブの王子、火星、太陽、金星、獅子
教会の支配は海の藻屑となる
ペルシャに向かい、百万人近い男たち
まことの蛇がビザンチウムとエジプトを攻める」
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この予言をもたらした惑星の配置は、1998年8月を示しています。ここで使われている言葉を見ると、ジハードとは何の関係もなく、アラブ国の支配者が、数百万の兵隊を使って、ペルシャ(イラン)を、そしてビザンチウムとエジプトを攻撃するという内容のようです。ビザンチウムはすでに存在せず、現代のトルコに相当します。もしこれがジハードであったとすれば、イスラム教国であるトルコやエジプトが攻撃されるはずがなく、事実と異なっています。
1980年代後半のイラン・イラク戦争では、アヤトラのイラン人による人海戦術に対抗して、サダム・フセインが化学兵器による攻撃を行い、百万人の命が奪われました。この戦いで、イラン・イラク双方に数百万の被害が出ましたが、これは1998年の惑星の位置やビザンチウムおよびエジプト侵攻とも、関係ありません。
「教会が海の藻屑となる」という表現ですが、教会は単にキリスト教を信じる人々の集合体であり、軍事行動によって倒されるような政治力はありません。また教会は、善悪の区別がつかなくなった昨今の倫理観の低下により、影響力を失っています。こうしたことを考え合わせると、ノストラダムスは、当時地中海付近で人々を恐怖に陥れていたタルタリアの海賊のことを言っていたのかもしれません。 |
21世紀に生きる私たちは、20世紀後半の世界情勢を予言したノストラダムスの本を読み返し、実現しなかった「世界の終末」を笑うことができます。1999年に登場するはずだったモンゴルの王は、ついに姿を見せませんでした。
また、反キリスト(悪魔)の化身である「東方の人物」の登場を予言したジーン・ディクソンからも、その後何の話も聞きません。ディクソンによれば、「東方の人物」は1962年に誕生し、彼が29歳から30歳頃に活動を開始するはずでした。
預言とその理解に関し、聖書は「民は自分の神に尋ねなければならない。生きている者のために、死人に伺いを立てなければならないのか。」(イザヤ8:19)と、明確な指針を与えています。ブツブツと訳の分からないことを言う口寄せや魔術師、あるいは成就した予言を持たない「予言者」に、お伺いを立てる必要がありますか?
ノストラダムスの予言で、成就したと明確に断言できる予言はひとつもありません。彼が自らの死を予言したと言われていますが、「1567年11月に死亡」という予言に対し、実際に亡くなったのは1566年の7月でした。尤も、「死ぬ」という点に関してだけは、予言は成就したと言えるかもしれません。自らの死を予言した頃のノストラダムスは、重度の水腫、通風、関節炎に苦しんでいましたから、その時期を予測するのはさほど難しいことではなかったでしょう。
ノストラダムスの予言に登場する「反キリスト」的人物を、ナポレオンやヒットラーに当てはめる人が多いようです。また、北アフリカにおける反キリスト的人物(「強力ならくだ」)が登場し、ヨーロッパに侵攻した後、反撃を受けるするという予言もあります。しかしこうした予言はあまりにも漠然としており、詳細が全く見えない、あるいはすでに指摘したように、過去の歴史的事件の焼き直しに過ぎない内容になっています。
ヒットラーの個人秘書によれば、時に「人非人」と呼ばれたヒットラーは、あくまでも普通の人間だったと言います。子供や動物を愛し、普段の生活では、人々を震え上がらせるようなことはありませんでした。このような普通の人が独裁者になるのが、何よりも恐ろしいところです。実体のない敵を作り上げてこれを責め、隣国や弱い立場の少数民族への敵意を煽ったヒットラーは、質素な野菜だけの食事を取り、ハリウッドの映画を愛する人物でした。また、スターリンの場合、映画の中休みに中庭に出て、仮想敵軍への集中砲火訓練を見てご機嫌になり、その後映画の後半を楽しんだという逸話も残されています。
人間とは、なんと卑劣な存在になれるのでしょう。フランス革命期のギロチン執行者は、犠牲者の血にまみれながら、休み時間には嬉々としてパンとチーズとワインの食事を楽しんだそうです。また、バルト諸国方面にいたゲシュタポ(ヒットラーの公安部隊)は、地元民によるユダヤ人大虐殺の凄惨さに驚いたと言います。さらに、ニューヨークの世界貿易センタービルが崩壊し、罪のない多くの人々が命を亡くした時、世界中で拍手喝采をもって、この様子を見ていた人もたくさんいました。聖書に登場するケインのように、人間は悪であり、残酷であり、罪深い存在なのです。
このような事実にもかかわらず、神は人間を愛しています。2000年ほど前、天地の創造者である神が人間として生まれ、彼を信じる者のために十字架にかかり、その血によってわれわれの罪を清めました。彼は私たちの罪の生贄となったのです。現代に置き換えれば、裁判官が裁判官席から降りてきて、会計の窓口に行き、あなたのスピード違反の罰金を払ってくれるようなものです。
「イエス様、私の心に入り、私の人生を司ってください。私のすべての罪を許し、今日からあなたが私を導いてください」という簡単な祈りと共にイエス・キリストを受け入れるなら、あなたは新しい人に造りかえられます。ビリー・グラハムであろうが、ローマ法王であろうが、イエスを受け入れない限り、罪の中にあることは変わりません。イエスを受け入れることで、私たちは「間一髪で難を逃れる」ことができるのです。
罪がないのは、神だけです。だから、人間の罪を取り去るために神ご自身が人間としてこの世に生まれたのです。イエスの死により、私たちは創造主の神と個人的な関係を築き、聖霊の内在、霊的平安、神による人生の導き、喜び、永遠の命、福音といった神の祝福を受けることができるのです。
こうした事実と反キリストがどう関係するのでしょうか?反キリストは、高尚な神の性質を一切持たない、ただの人間です。反キリストは、自らを「クリスチャン」と言いながら、この世の権威や欲望に負けて、神を見捨てた人物かもしれません ( 神を信じれば、それで終わり?」慈悲深い神。その正義はかみそりの刃のように厳しい)参照)。また、反キリストは自らを神と信じる、ニュー・エイジ信者や他の神を礼拝する人かもしれません。羊の皮を着た狼のように、冷酷無比な政治家かもしれません。つまり、本当の神を知らない人間は、誰でも反キリストになる可能性があるということです。
聖書には、反キリストに関してたくさんの情報があります。ここに引用した聖句は、反キリストに関する預言やコメントのほんの一部です(カッコ内のコメントは、本ウェブサイト著者の個人的解釈です)。
「この王(反キリスト)は、思いのままにふるまい、すべての神よりも自分を高め、大いなるものとし、神の神に向かってあきれ果てるようなことを語り、憤りが終わるまで栄える。定められていることが、なされるからである。彼は、先祖の神々を心にかけず、女たちの慕うものも、どんな神々も心にかけない。すべてにまさって自分を大きいものとするからだ。その代わりに、彼はとりでの神(軍隊?)をあがめ、金、銀、宝石、宝物で、彼の先祖たちの知らなかった神をあがめる。彼は外国の神の助けによって、城壁のあるとりでを取り(彼が世界の支配者であることの意)、彼が認める者には、栄誉を増し加え、多くのものを治めさせ、代価として国土を分け与える(自分にへつらうものに褒賞を与える)。 」
明確な情報がほとんどないノストラダムスの予言とは違い、神の霊により与えられたダニエルの預言は、広範囲に及びまた具体的です。
バビロンの王、ベルシャザル統治の第一年目にダニエルは夢と幻を見ます。
「私が夜、幻を見ていると、突然、天の四方の風が大海をかき立て、四頭の大きな獣が海から上がって来た。その四頭はそれぞれ異なっていた。第一のものは獅子のようで、鷲の翼をつけていた(聖書研究家の中で、鷲の羽根を持つライオンは一般的にバビロニア帝国と解釈されています)。見ていると、その翼は抜き取られ、地から起こされ、人間のように二本の足で立たされて、人間の心が与えられた。また突然、熊に似たほかの第二の獣が現われた。その獣は横ざまに寝ていて、その口のきばの間には三本の肋骨があった(メド・ペルシャ)。するとそれに、『起き上がって、多くの肉を食らえ。』との声がかかった。この後、見ていると、また突然、ひょうのようなほかの獣が現われた。その背には四つの鳥の翼があり、その獣には四つの頭があったメド・ペルシャ)。そしてそれに主権が与えられた。
私がその角を注意して見ていると、その間から、もう一本の小さな角が出て来た(反キリスト)が、その角のために、初めの角のうち三本が引き抜かれた(反キリストによる隣国への攻撃)。よく見ると、この角には、人間の目のような目があり、大きなことを語る口があった(ナポレオンに比べ、大言壮語のヒットラーのような人物)。(ダニエル7:4-9)
ダニエル7:20には、「その頭には十本の角があり、もう一本の角が出て来て、そのために三本の角が倒れた。その角には目があり、大きなことを語る口があった。その角はほかの角よりも大きく見えた。」と小さな角が大きくなったことが書かれています。古代、角は力や権力の象徴でした。小さな角(=勢力)が三本の角を攻撃して倒した後、大きくなったと言うのです。
「私が見ていると、その角は、聖徒たち(イエスに従う人々)に戦いをいどんで、彼らに打ち勝った。しかし、それは年を経た方が来られる(王であるイエスの再臨)までのことであって、いと高き方の聖徒たちのために、さばきが行なわれ、聖徒たちが国を受け継ぐ時が来た。」(ダニエル7:21-22)
イエスを信じる者は、神の直接的な助けを受けることができます。黙示録19:20には、反キリストと偽預言者が、神の天使たちによって硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれると書いてあります。
「私が見ていると、幾つかの御座が備えられ、年を経た方が座に着かれた。その衣は雪のように白く、頭の毛は混じりけのない羊の毛のようであった。御座は火の炎、その車輪は燃える火で、火の流れがこの方の前から流れ出ていた。幾千のものがこの方に仕え、幾万のものがその前に立っていた。さばく方が座に着き、幾つかの文書が開かれた。」(ダニエル7:9-10)
「年を経た方」については、黙示録1章の13節から18節でさらに説明されています。
「それらの燭台の真中には、足までたれた衣を着て、胸に金の帯を締めた、人の子のような方が見えた。その頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は、燃える炎のようであった。その足は、炉で精練されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようであった。また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。それで私(ヨハネ)は、この方を見たとき、その足もとに倒れて死者のようになった(あなたもこのようになる)。しかし彼は右手を私の上に置いてこう言われた。「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、生きている者である。(アルファでオメガ、また「人の子」の意)」
ダニエルに話を戻しましょう。 「私、ダニエルの心は、私のうちで悩み、頭に浮かんだ幻は、私を脅かした。私は、かたわらに立つ者のひとりに近づき、このことのすべてについて、彼に願って確かめようとした。すると彼は、私に答え、そのことの解き明かしを知らせてくれた。(中略)『彼はこう言った。『第四の獣は地に起こる第四の国。これは、ほかのすべての国(世界の大国)と異なり、全土を食い尽くし、これを踏みつけ、かみ砕く。十本の角は、この国から立つ十人の王。彼らのあとに、もうひとりの王が立つ。彼は先の者たちと異なり、三人の王を打ち倒す。彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。彼は時と法則(神の掟)を変えようとし、聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間(一般的に3年半と理解される)、彼の手にゆだねられる。しかし、さばきが行なわれ、彼の主権は奪われて、彼は永久に絶やされ、滅ぼされる。国と、主権と、天下の国々の権威とは、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。すべての主権は彼らに仕え、服従する。』」(ダニエル7:23-27)
使徒パウロは、テサロニケ人への手紙第二のなかで、イエスの再臨の前に、「まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。」(第二テサロニケ2:3-4)と言っています。
「不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。」(第二テサロニケ2:9)
「地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。」(黙示録13:8)
反キリストには「獣」という言葉が使われています。黙示録13章では、サタンである竜の力を持った獣が海から現れるとあります。これには十本の角と七つの頭とがありました(上記聖句に出てくるように、内三本は破壊されます)。その頭のひとつは打ち殺されたかと思われますが、その致命的な傷も直って大きくなり(上記ダニエルからの引用参照) 、「剣の傷を受けながらもなお生き返ったあの獣の像を造るように、地上に住む人々に命じた。」(黙示録13:14)のです。
黙示録17章7節には「すると、御使いは私にこう言った。(中略) あなたの見た獣は、昔いたが、今はいません。しかし、やがて底知れぬ所から上って来ます。」とあります。 天使は、ローマ帝国の再建、あるいは近代のネロとも言えるヒットラーのドイツ帝国の再建を示唆していたのでしょうか。
反キリストは、有史が見てきた残忍な独裁者と同じように、悪魔に支配されたような国のリーダーかもしれません。彼は頭に致命傷を負いながらも、急激な回復を見せます。おそらくこの段階で、悪魔はこの人物の体をすっかり支配し、悪霊により、再び命を得るのでしょう。
全世界はこの様子に驚き、獣に従うようになります。「この獣は、傲慢なことを言い、けがしごとを言う口を与えられ、四十二か月間活動する権威を与えられた。そこで、彼はその口を開いて、神に対するけがしごとを言い始めた。すなわち、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちをののしった。彼はまた聖徒たちに戦いをいどんで打ち勝つことが許され、また、あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。」 (黙示録13:5-7)
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