「主から言葉を頂いた」という人に会ったり、あるいはあなた自身が神からの預言を聞いたと思ったりした時には、そのことについてしっかりと祈る必要があります。預言者エレミヤは、バビロニアがエルサレムを包囲し、ユダ王国がまさに崩壊しようとしている時、アナトテの村を買うようにと、神から指示を受けました。(エレミヤ32章)その後、エレミヤのいとこが、彼にアナトテの土地の買戻しを依頼するに至り、彼が神の言葉を受け取った事実が状況的にも追認されたのです。しかし預言を頂いた時点では、、自分が受け取った神の預言に対して当惑していたことをエレミヤ自らが下記のように認めています。
「すると、主のことばのとおり、おじの子ハナムエルが私のところ、監視の庭に来て、私に言った。『どうか、ベニヤミンの地のアナトテにある私の畑を買ってください。あなたには所有権もあり、買い戻す権利もありますから、あなたが買い取ってください。』私は、それが主のことばであると知った。」(エレミヤ32:8)この発言から、いとこが来て神の言葉が実現するまでは、預言者エレミヤといえども、自分が受け取った預言の真実性に確信がなかったことが分かります。
土地の購入後、主がさらにエレミヤに預言します。「『まことに、イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。再びこの国で、家や、畑や、ぶどう畑が買われるようになるのだ。』と。」そしてエレミヤは、おじのネリヤの子バルクと証人の前で、主からの預言を告げます。
その後エレミヤは、神が天地を造ったこと、神の慈愛と優しさ、またエジプトでイスラエルの人々に見せたしるしと不思議、そして乳と蜜の流れる国を授けたことに感謝して祈ります。(エレミヤ32:17-22)また、イスラエルの人々が神の声に聞き従わず、その律法を守っていないために、神の災いが彼らに落ちたことを認めます。私たちは、このイスラエルの先例から、学ばなければなりません。イスラエルが神に反抗したため、エルサレムは包囲され、カルデア人とユダ王国との戦争が起きました。主が預言したように、彼らは戦と飢餓と疫病を経験する運命となりました。
土地を買い、神を賛美し、バビロニアに関する神の預言が成就しようとしたことを告げた後、エレミヤは「神、主よ。あなたはこの町がカルデヤ人の手に渡されようとしているのに、私に、『銀を払ってあの畑を買い、証人を立てよ。』と仰せられます。」(エレミヤ32:25)と神に尋ねます。しかしこれは、彼の土地購入を取り巻く状況が非常に不自然に思えたため、彼は神にさらなる確信を送ってくれるように求めているののであり、エレミヤが神を試しているのではありません。神は彼の祈りに答えてこう言います。「見よ。わたしは、わたしの怒りと、憤りと、激怒とをもって散らしたすべての国々から彼らを集め、この所に帰らせ、安らかに住まわせる。 彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。」(エレミヤ32:37-38)
エレミヤ書を読むと、神に選ばれた偉大な預言者ですら、預言の真実性を確かめようと奮闘している姿が分かります。このように大変な配慮の元になされた聖書の預言と、カリスマ的な礼拝や聖書研究の中で語られる浅薄な言葉とを比べてみて下さい。後者の場合、その内容はいつも漠然としていて明確に解釈されることは決してありませんし、オカルト的な要素すら含まれている可能性があります。聖書時代、偽預言者は石打の刑にされました。現代、病気の人を治したと言いながら、客観的には毎回病気を治していない「ヒーラー」も、偽預言者と同じです。0.1割の打率では、話になりません。また、打率が100%だとしても、その癒しが神による癒しかどうかをしっかり見極める必要があります。サタンと呼ばれる悪魔も、病気を治したり、預言を語る力を持っているからです(病気を治したい一心で悪魔による癒しを受け入れた場合、後で大きな問題を引き起こすことになります)。
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