宇宙は無限ではない
宇宙背景探査(COBE)衛星の発見は、すべての物体、エネルギー、空間、時間が無限あるいは無限に近い状態の密度、温度、圧力から生まれたことを証明しています。宇宙のすべては、無限に収縮した単一宇宙に帰着し、つまりどこかの段階で空間が存在をやめた、あるいは空間が存在し始めた事実を示しています。
ビッグバン理論は、400数億の銀河系からなる宇宙の位置が、プロトンよりも小さいスカラー場(量子力学的思考。その場所に応じて数値だけが変わる)のある一点(宇宙卵)から誕生していると主張しています。
「偽真空」と呼ばれるこの真空ポイントは、一億の潜在的宇宙を有していることになります。グレッグ・イースターブルックが詩的に表現したように、ビッグバンを信じることは「ビッグバンが発生した時に、一秒以下の瞬時にただの点から宇宙が発生したことを信じることであり、理論物理学の範囲で、宇宙が疾走しながら外側に広がり、新宇宙の弾道波が高速度の一兆倍の速さで移動することを信じることであり、またこの過程において、生まれたての宇宙が超現実的な角度に曲げられるといった、大規模な歪曲が起きたと信じることだ。大規模な屈曲とは、サイエンテイフェィック・アメリカン誌が表現したように、『完全な無から創造された』存在から、通常は珍しい存在である仮想粒子が実体化することである」〔4〕 ビッグバンの証拠
A. 膨張宇宙論
膨張宇宙論とはハッブルが発見した、銀河系外天体とその赤方偏移の間にある直線的関係のことです。赤方偏移とは、1900年代初めに天文学者たちが発見した現象であり、距離の遠い銀河ほど、天体からの光が引き伸ばされて赤くなる現象で、この色が青くなれば、天体はより近い場所に位置していることになります。
B. 背景放射
1965年、電波天文学者があらゆる方向からやってくる雑音電波を受信。これにより、1940年代にジョージ・ガモフ、ラルフ・アルファ、ロバート・ハーマンによる「宇宙が一点から膨張したのであれば、宇宙空間の絶対温度3度程度で、宇宙空間全域からほぼ均等に観測される、さまざまな周波数の背景放射がある」という予測が裏付けられました。また、1992年と1993年のCOBE衛星の発見により、ビッグバン理論の正しさがさらに証明されることとなりました。この発見では、COBEによる観測の結果、背景放射において10万分の3度という天球上でのかすかな温度ゆらぎが検出され、またろうそくが燃える時のエントロピー(2)のおよそ5億倍というきわめて高いエントロピーを有していることが証明されました。これほど高いエントロピーの説明は、非常に高熱で発生したビッグバンしかありません。結果、宇宙が定期的に拡張・収縮をくり返しているという主張には永遠に終止符が打たれ、宇宙は膨張の一途を辿っていることが証明されたのです。
C.ビッグバン当初の軽元素合成予測の証明
どの銀河系にも均一して窒素が大量にある事実は、宇宙起源の共通性を証明するものです。重水素は、惑星で破壊されるばかりで生成はされません。しかし、惑星上存在する物質全体に重水素が確認されている事実、またリチウムが大量に存在する事実は、宇宙の起源に共通項があったことを示す証拠とされています。
時間は、初めを持つ物理的特性である
相対性理論の中で、アインシュタインは2つの事柄の間にある空間の計測は、計測する人物の動きにより変わってくると説明しています。2人の計測人が相対的に移動している時には、時間の拡張が発生します。原子時計は、時間の拡張の動きを、航空機速度(ナノ秒単位)で計測します。宇宙飛行士が、光速に近いスピードで惑星の近くを通り地球に戻ってきた場合、旅行時のスピードによっては、宇宙飛行士の旅行時間は1年だったにもかかわらず、地球上では10年が経過しているということも考えられます。
時間には、スピードのほかに、重力も関係しています。相対性理論では、重力は時間を遅くすると主張していますが、これは第一次大戦中(19191年5月29日)に行われたアーサー・エディントンの実験で証明されています。エディントンは、ブラジル北方に探検隊を送り、日食中に太陽の横にあるヒアデス星団からの光の屈折を観測し、(デイビッド・ボナディス著『E=mc2』)屋根裏やその付近の時計は、地上の時計よりも速く動いていることを確認しました。僅少ではありますが、その差ははっきりと確認されています〔5〕。
惑星が重ければ重いほど、時間は遅くなります。中性子の表面では、惑星上の時間は地球時間のおよそ30%も遅くなります。ブラックホールの表面では、時間の流れは地球時間とほぼ同じですから、仮にブラックホールの外縁から落ちたとすると、特異点の表面に辿り着くまでに、地球上では永遠の時間が過ぎてしまうでしょう。SF小説で、ブラックホールに近づいた宇宙船が、次の瞬間には遠い未来にいる様子が描かれるのは、こうした理論を参考にしているからです。
アインシュタインは、相対性理論により、一定の状況下で過去へのタイムトラベルを可能にするという考えには反対でした。デイビッド・ドイチェは、量子効果を中心にタイムトラベルの議論を展開しています。
「重力の量子理論という一般的な考えは、多元的宇宙における過去とのつながりを認めるだけでなく、こうしたつながりが継続的に造られ、自発的に破壊される過程が超微少的スケールではあるが、あらゆる宇宙と時間で発生していると言う。こうした影響により作られる一般的経路は、およそ10-35メートルであり、残りは1プランク時間ほど(10-43秒)となる。よって、タイムトラベルをしたところで、1プランク時間程度の過去にしか到達できないことになる」〔6〕
次世代型の粒子加速器であれば、近隣の粒子が因果関係ループを通過するまで存在できる原子内部ワームホールを作成することも可能かもしれません。しかし、ここに加わる熱エネルギー消費の観点から見れば、やはり難しいでしょう。通過可能な安定したワームホールといった考えは、SFの中でしか存在できないのです。
一般相対性理論に基づき、ホーキング、ペンローズ、エリスといった研究者は、長さ、広さ、高さ、時間の大きさは、宇宙が拡張しているという条件でのみ存在すると仮定した「宇宙時間提言」を発表しており、この理論では、時間に起源があったことになります。
しかし、『時間の小史』の中で、スティーブン・ホーキングは、時間に始まりがあったのかどうかははっきりしないと言い、それはカント哲学が唱える「本体」のようなものであったかもしれないと意見しています。
「科学的理論が色々な事象の説明に成功する中、神が一定の法則に従って宇宙を進化させ、こうした法則が破られる時にも介入しなかったと信じている人が多い。いずれにしても、こうした法則を見たところで、宇宙がどのように始まったかについては分からない。つまり、時計のねじを巻いて、それをどのようにスタートさせるかは、やはり神の手中にあるのだ。宇宙に起源がある以上、その創造者がいたと考えるべきであろう。
『時間』の定義とは、因果関係が起きる世界・次元である(ヒュー・ロス著『創造と宇宙』より)。宇宙時間の理論が主張するように、時間の起源と宇宙の起源が同じなら、宇宙の時間的次元と関係なくそれ以前から独立して存在していた時間的次元の中で作業をする物体が原因で、宇宙が発生したことになる。この結論は、神を理解する上で非常に重要だ。つまり、創造者は宇宙の限界を超えて作業ができる超越的存在ということになり、神は宇宙そのものでも、また宇宙の中に含まれるものでもないことが分かる。汎神論者や無心論者はこの事実にきちんとした答えを出さねばならない」 宇宙の起源に対する量子的アプローチ
ホーキングとペンローズは、一般相対性理論は以下の点を証明したと主張しています。「宇宙の誕生は特定の一点で一斉に発生し、またその時に時間が生まれたことも疑いない。一般相対性理論の思考体系の中では、これ以外の答えはない。真の宇宙でこの一点性が無視されるのであれば、量子理論の影響を元に、相対性理論をさらに改善するか、重力の量子理論を構築するしかない」〔7〕
量子理論的アプローチだけを使って宇宙の起源を説明するのは不可能であり、これは科学というよりは、単なる哲学的理論に過ぎません。量子数学は、原子や素量子の活動の計算に役立つかもしれません。しかし量子的理論では、粒子や組織がAからBの状態に変化する過程を説明することができないため、これを宇宙全体に応用するのは、ほぼ不可能です。量子物理におけるコペンハーゲン解釈では、「組織がそのままの状態で存在する時には、可能性のある全状況の重畳状態にあるが、組織の検査がされると、いくつもある潜在的状況から特定の状況に減少してしまう」と説明しています。つまり、単なる検査をしただけでも、組織の波動関数が破壊され、確率に基づいたひとつの状況だけに限定されてしまいますが、検査が一旦が止むと、組織は再びあらゆる可能性の重畳状態に戻るという訳です。しかし、最初に検査された組織が複製される可能性は非常に低いため、この後で組織を再検査する時には、間違いなく別組織を検査していることになります。
量子理論では、宇宙の超微小物体波の機能を説明する公式を書けたとしても(これ自体、不可能な作業ですが)、この公式に従って状況をひとつに絞れる存在は、神のほかにありません。
量子理論的アプローチを採用して宇宙の起源を説明することにより、科学の研究は、形而上学の様相を増しつつあります。そんな中、私たちの住む宇宙が無から発生した可能性と同時に、他の宇宙も同じように無から発生した可能性を探る「多元的宇宙」の考えを支持する人も出てきています。多元的宇宙論では、私たちが住む生命維持システムを持つ宇宙を含め、複数の宇宙を混ぜ合わせれば、すべては可能であると説明し、自主的かつ自然な宇宙の存在を説明し、宇宙誕生の「第一の理由」として神の必要性を否定しています。
多元的宇宙理論の問題点は、人間が特定の時間と空間を持つ限定的な宇宙に存在している以上、他の宇宙の存在は知識的憶測の域を出ないということです。単なる点の存在から直線や四方形の存在を説明できないのと同じように、しっかりとした要因を持って、多元宇宙論を説明することはできません。一次元の点は、直線の存在を推測することはできません。点にとって、線の存在は未知の「本体」なのです。
外次元による量子理論と相対性理論の調和
ブラックホールは、巨星が進化の最終段階で自身の重力のために内部崩壊を起こしてできた、とてつもなく強力な重力が支配している天体のことです。ブラックホールの重力はその近くにあるあらゆるものを吸い込んでしまい、いわば宇宙の強力掃除機といった感じです。「極値」ブラックホールと呼ばれる特定の微小なブラックホールが、一定時に無質量になると言われていますが、超密度のブラックホールでどうしてこれが可能なのでしょうか?また質量がない状態で、どのように重力が作用できるのでしょうか?
アンドリュー・ストロミンジャーは、無質量の外次元性に、その答えがあるという仮説を唱えています。
「(ストロミンジャーは)6つの空間的次元の中で、極値ブラックホールの質量は、その表面積に比例していることを発見した。表面積が収縮し、質量が徐々にゼロに近くなる。この問題は、まさに6つの空間的次元が存在することで、解決される。(中略)ここに、『宇宙は迅速に広がる空間と時間の十次元から成り立っている』という、ふたつの大きなジレンマを解決するひとつの理論がある。宇宙が10秒~43秒才だった時、強電弱力から重力が離れる活動がなされる中で、十次元の内の6つが膨張を止めた。この6つの次元は、今日も宇宙の構成要素として存在しているが、膨張を止めた時にそれぞれが堅く縮こまってしまった(カラビ・ヤウ多様体)。6つの次元の交差点は、わずか10~33センチで、直接測定では検出不可能である。6種類の証拠があることは、この理論の正しさを示すものである。その中でも最も説得力があるのは、ひも理論が生み出すすべての特殊公式と一般相対性理論であり、それが、量子力学と一体化している点である。〔8〕
結論
私たちの経験と資格で認識できる次元(長さ、深さ、高さ、時間)の限界の外のいる超自然的・超越的神を受け入れて初めて、聖書の理解が可能になります。神を受け入れない場合、物理的死の後にある霊的生活の説明、イエスが水の上を歩いたこと、病気を癒したこと、復活後に壁を通り抜けたこと、聖書の数百にも上る預言が実現したことをどう説明するのでしょうか?宇宙の神が時間の外に存在して、私たちの人生の決断やその全体を最初から最後まで見通せるのでなければ、人間の自由意志と神の計画をどう説明するのでしょうか?こうした超自然に対する唯一の説明は、神が次元を超越した存在であるという答えです。
ビッグバン理論では、数十億年前に物体、エネルギー、空間と時間がある一点から同時に生まれたと説明しています。神学的に言えば、つまり宇宙の外、宇宙と独立した理由があってビッグバンが起きたということになり、ビッグバン理論も創造主の存在を認めるものです。
ビッグバンによって生まれた空間が存在する以前に、ビッグバンが起きた場所はありません。科学では、最も外郭に位置する天体の赤方偏移を元に、ビッグバンが発生したことを突き止めています。この最外郭の星雲はビッグバン発生時には可観測の状況にありました。こうした天体は、星雲までの距離と光年により137億年の時を越えた今でも見ることができます。赤方偏移は距離の遠い銀河ほど、天体からの光が引き伸ばされて赤くなる現象で、この色が青くなれば、天体はより近い場所に位置していることになります
創世記1:1には「初めに、神が天と地を創造した。」とあります。宇宙誕生から137億年経っていたとしても、その事実と創世記の記述に矛盾があることにはなりません。
単一の理由や場所から宇宙が存在したことを唱えるにしろ、多元的宇宙を唱えるにしろ、こうした立場を貫く場合には、「それが起きた最初の理由」を説明することから逃れることはできません。仮に多元的宇宙が存在したとしても、「多元的宇宙がどのように発生したのか」という疑問が残ります。こうしたことを考えれば、「あなたの神様はどのくらい大きい方ですか?」と質問する方が正しいのではないでしょうか?神は無限の可能性を持つ神でしょうか?それとも石や木といった細胞組織に限定された、三次元の神像に過ぎないのでしょうか?神とは、人間の姿に生まれ変わり、自らが創造した丘の上で十字架にかかり自らの存在を示した神ではないのでしょうか?
私たちの魂は、創造主、「最初の理由」、全能かつ偏在の神を拒否する理由を見出すことができません。だから、個人的神の存在を受け入れるには、知識だけではなく、私たちの心と魂が必要なのです。
人間は知識を過大評価して、神の存在を除外する理由を見つけ出します。しかし、結果的には、神が私たちの理解を超え、私たちが心と良識を広げ、神を見出すことを辛抱強く待っていて下さることを見出すのです。ルネッサンスの時代に地球が球体であることが判明し、多くの人間は神を信じることを止めてしまいました。しかし紀元前700年頃、イザヤは地球が丸いことをきちんと記録しています。
「主は地をおおう天蓋の上に住まわれる。地の住民はいなごのようだ。主は天を薄絹のように延べ、これを天幕のように広げて住まわれる。」(イザヤ40:22)
「目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。この方は、その万象を数えて呼び出し、一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。この方は精力に満ち、その力は強い。一つももれるものはない。ヤコブよ。なぜ言うのか。イスラエルよ。なぜ言い張るのか。「私の道は主に隠れ、私の正しい訴えは、私の神に見過ごしにされている。」と。あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。」(イザヤ4:26-28)
人間は若干の知識を元に「神の存在を打ち消すほど賢くなった!」と宣言するプライドの高い存在になっているのです。しかし、結果的には私たちの限界のある知識を超えて、神が私たちを待って下さっていることを理解するのです。
「私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。」(詩篇139:7-8)
聖書は、人間の知識的理解に限定されるものではありません。私たちの魂が、人間的理解という限界を持っていたとしても、科学がより複雑な宇宙の概観を発見したとしても、この世界の創造物にはすべては神の指紋がついているのです。真の科学は、超人的無限の魂を持った、最高のデザイナーの存在を証明しています。 |